1500文字小説『伝えたいこと、伝えたくないこと』
- 岡本ジュンイチ
- 2019年1月29日
- 読了時間: 3分
「今日はありがとうね」
さくらは僕に向かって、そう言った。
僕は彼女の意外な言葉に、つい「えっ?」と応じてしまう。
彼女は、言葉を続けた。
「ここへ誘ってくれて、ありがとうね」
僕は納得した。
彼女の言っていることが、ようやく理解できた。
それにしても、このコーヒーショップはイヤというほど客でにぎわっているものだ。
僕たちの言葉のやり取りが大声になるくらいに、周りはガヤガヤとうるさい。
みんな、どれだけおしゃべりなんだ。
僕は、まるで他人事のようにそう心の中でつぶやきながら、ちょびちょびとコーヒーを飲みだした。
「どうしたの?」
僕は、さくらにそう聞いた。
彼女の手元にもコーヒーが来たというのに、彼女はいっこうにコーヒーを飲もうとしなかった。
「コーヒー、苦手だった?」
彼女は僕のその問いに対して、大きく首を振った。
そして、微笑んだ表情で「いただきます」とつぶやいて、コーヒーを飲み始める。
…………。
とてつもない沈黙が続く。
どうしてだろう。
僕は彼女に話したかったことがあるはずなのに、何から話せばいいのかがわからない。
それはまるで、英語の授業で、外人の先生に話しかけようとする瞬間とよく似ていた。
「3年間、お疲れさま」
先に口を開いたのは彼女の方だった。
さくらは、まるで勇気を振りしぼっているかのような表情で、おそるおそる僕に話しかける。
「勝(まさる)くんにとって、この高校生活は、どんな3年間だった?」
その問いに対して、僕はふと答えた。
「最高の3年間だったよ」
「どういう意味で?」
またもさくらの意外な切り返しに、僕はつい言葉をつまらせてしまう。
「それは……」
僕は言葉を探しながら、卓球部にいた頃のことをふと思い出した。
あの頃のさくらは、校内でもとても強い卓球部のエースだった。
凡人の僕では到底かなわないほどの、超卓球少女だった。
でも、彼女のほかに女子の卓球部員がいなかった。
そのために、毎日、僕たち男子卓球部員と球を打ち続けていた。
そんな環境でも、(いや、そんな環境だからこそといっていいのか……)僕たちはやがて、女子部員のさくらにボコボコにやられていった。
最初の頃はみんな、さくらの実力を甘く見ていた。
事実、彼女はその時点では、男子と比べるとまだまだ弱いほうだった。
しかし、彼女は次々と負かされるにつれて、彼女の実力は着実にレベルアップを遂げていた。
その結果、彼女は、ほとんどの男子を打ち負かすほどの、卓球少女に変貌していったのだ。
いつからなのだろうか。
僕は彼女と卓球を続けていくうちに、だんだん親しくなっていった。
そして、今こうして一緒に、コーヒーを飲みに行くまでになっていったのだった。
「それは、何なの?」
快活な表情で、さくらは僕に問いただす。
僕は、その明るさをまぶしく感じた。
彼女のその明るさが尊く感じすぎて、壊したくない。
それゆえに、僕はまたも口をつぐみそうになった。
でも、僕は覚悟を決めて、自分の心境を素直に話した。
「……キミのような子に出会えて、本当によかったよ。
とても明るくて、卓球も強くてさ、それに加えて……」
僕は、ふと彼女の胸元を一瞥しつつも、ブンッと首を振り、思い切って彼女に言う。
「こんなにきれいな子に出会えて、本当に、幸せだった……」
「勝(まさる)くん……」
僕は、さくらに向かってやさしく「ありがとう」とつぶやいて、ついうつむいてしまった。
僕は、彼女に伝えておきたいことがある。
でも、同時に伝えたくないこともあった。
前者は、いつの間にか僕は、彼女に恋を落ちてしまっていたこと。
後者は、僕が海外へ、家の事情で引っ越してしまうことだった。
言葉にしたい。
けど、言葉にできない……
そう思いながら、僕はコーヒーを少しずつ飲み続けた。
おわり
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