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1500文字小説『伝えたいこと、伝えたくないこと』


「今日はありがとうね」

 さくらは僕に向かって、そう言った。

僕は彼女の意外な言葉に、つい「えっ?」と応じてしまう。

彼女は、言葉を続けた。

「ここへ誘ってくれて、ありがとうね」

 僕は納得した。

 彼女の言っていることが、ようやく理解できた。

 それにしても、このコーヒーショップはイヤというほど客でにぎわっているものだ。

 僕たちの言葉のやり取りが大声になるくらいに、周りはガヤガヤとうるさい。

 みんな、どれだけおしゃべりなんだ。

 僕は、まるで他人事のようにそう心の中でつぶやきながら、ちょびちょびとコーヒーを飲みだした。

「どうしたの?」

 僕は、さくらにそう聞いた。

彼女の手元にもコーヒーが来たというのに、彼女はいっこうにコーヒーを飲もうとしなかった。

「コーヒー、苦手だった?」

 彼女は僕のその問いに対して、大きく首を振った。

 そして、微笑んだ表情で「いただきます」とつぶやいて、コーヒーを飲み始める。

 …………。

 とてつもない沈黙が続く。

 どうしてだろう。

 僕は彼女に話したかったことがあるはずなのに、何から話せばいいのかがわからない。

 それはまるで、英語の授業で、外人の先生に話しかけようとする瞬間とよく似ていた。

「3年間、お疲れさま」

 先に口を開いたのは彼女の方だった。

 さくらは、まるで勇気を振りしぼっているかのような表情で、おそるおそる僕に話しかける。

「勝(まさる)くんにとって、この高校生活は、どんな3年間だった?」

 その問いに対して、僕はふと答えた。

「最高の3年間だったよ」

「どういう意味で?」

 またもさくらの意外な切り返しに、僕はつい言葉をつまらせてしまう。

「それは……」

 僕は言葉を探しながら、卓球部にいた頃のことをふと思い出した。

 あの頃のさくらは、校内でもとても強い卓球部のエースだった。

 凡人の僕では到底かなわないほどの、超卓球少女だった。

 でも、彼女のほかに女子の卓球部員がいなかった。

 そのために、毎日、僕たち男子卓球部員と球を打ち続けていた。

 そんな環境でも、(いや、そんな環境だからこそといっていいのか……)僕たちはやがて、女子部員のさくらにボコボコにやられていった。

 最初の頃はみんな、さくらの実力を甘く見ていた。

 事実、彼女はその時点では、男子と比べるとまだまだ弱いほうだった。

 しかし、彼女は次々と負かされるにつれて、彼女の実力は着実にレベルアップを遂げていた。

 その結果、彼女は、ほとんどの男子を打ち負かすほどの、卓球少女に変貌していったのだ。

いつからなのだろうか。

 僕は彼女と卓球を続けていくうちに、だんだん親しくなっていった。

 そして、今こうして一緒に、コーヒーを飲みに行くまでになっていったのだった。

「それは、何なの?」

 快活な表情で、さくらは僕に問いただす。

 僕は、その明るさをまぶしく感じた。

 彼女のその明るさが尊く感じすぎて、壊したくない。

 それゆえに、僕はまたも口をつぐみそうになった。

 でも、僕は覚悟を決めて、自分の心境を素直に話した。

「……キミのような子に出会えて、本当によかったよ。

とても明るくて、卓球も強くてさ、それに加えて……」

 僕は、ふと彼女の胸元を一瞥しつつも、ブンッと首を振り、思い切って彼女に言う。

「こんなにきれいな子に出会えて、本当に、幸せだった……」

「勝(まさる)くん……」

 僕は、さくらに向かってやさしく「ありがとう」とつぶやいて、ついうつむいてしまった。

 僕は、彼女に伝えておきたいことがある。

 でも、同時に伝えたくないこともあった。

 前者は、いつの間にか僕は、彼女に恋を落ちてしまっていたこと。

 後者は、僕が海外へ、家の事情で引っ越してしまうことだった。

 言葉にしたい。

 けど、言葉にできない……

 そう思いながら、僕はコーヒーを少しずつ飲み続けた。

                            おわり

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