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マイノリティーのどこが悪い!


「価値観が多様化している」と言われて久しい現代社会において、「マイノリティー」の存在も目立ち始めています。

たとえば、大衆の平均的な男性・女性とは違った性格や身体を持つ「セクシュアル・マイノリティー」、精神的に感受性の強い人であるHSP、精神や身体的に障碍がある人、ほかの人よりも少しだけ欠陥がある「発達障害」などなど……。

そういうマイノリティーにおける教育や文化が少しずつ普及している一方、世の中にはそういうマイノリティーの自由を忌み嫌う人も結構いらっしゃいます。

今回は、そんな現状に対して、マイノリティーについての筆者の意見を書かせていただきます。

●堂々としていればいい

あなた自身が、もしもさまざまなマイノリティーで悩んでいる方だとしたら、結論として先にこう述べてたいです。

「大丈夫です! 堂々としていればいいですよ」

それは、たとえ障碍のある人であったとしても、精神疾患や発達障害のある人でも、自由な発想で生きていくことができるからです。

同性の人と結婚したいという願望があれば、その願望を否定する必要はありません。

人間は、「社会」という名のコミュニティーで支え合いながら生きている動物なのです。

その社会で世話になったり、多少迷惑をかけてしまうことがあっても、自分が人として生きている限りは自由でいていいと思うのです。

●人間は、個性があって当たり前

そもそも、人間にはどこかにおいて欠点は必ずありますし、病気にかかったことのない人間はいません。

みんないろんな考え方を持ってますし、それぞれが異なった価値観を持っているのは自然なことです。

多数派の常識にとらわれて、変に空気を読もうとするのは、人間の本能としてはすごく不自然なことだといってもいいでしょう。

人間は、個性があって当たり前です。

その個性がどんなにゆがんでいようと、人として生きている限り、みんな平等に生きる権利を持っているのです。

●マイノリティーをコントロールするのは間違っている

それほど大きな障碍や病気を抱えてなくても、自分自身のちょっとした欠陥を気にしてるマイノリティーも結構たくさんいらっしゃるかと思います。

ですが、そんなマイノリティーの場合も同様です。

たしかに、人間社会を生きている限りは、多少マナーやルールを守る倫理観や道徳観は大切です。

ですが、行き過ぎた常識は人の心を貧しくさせます。

たとえば、明治時代は女性が自分の素足をさらすことを悪としていました。

それは、女性が男性に色気を発するという行為が恥ずかしいこととしてとらえていたのでしょう。

そんな常識は、現代から見れば、明らかに男性側からつくった勝手なルールでしかないことがわかるでしょう。

投稿サイトやネット掲示板でつぶやく誹謗中傷もまたしかりです。

実社会では許されない悪口や不平不満を、ほかのネットユーザーにぶつけるなんていうのは、一部のネットユーザーがつくった空気や風潮であり、悪しき風習です。

そういう例のように、世の中にはまだまだ常識によってしばられていることがたくさんあるのです。

そもそも、ルールや常識でマイノリティーをしばりつけようとする発想自体が間違ってます。

「みんながいじめているから」といって、いじめを容認していいわけではないのと一緒です。

マイノリティーをコントロールすることは、人間社会の大きな「いじめ行為」だと言い換えてもいいでしょう。

●人間は、能力だけではかるものではない

そもそも、なぜ人は、他人を能力ではかるのでしょうか。

答えは明白です。

分業社会で奉仕するときの割り振りのためです。

自分の苦手なことをイヤイヤやらせるのではなく、自分の得意なことで仕事として割り振ったほうが仕事の効率が上がるからです。

いうなれば、人が他人を能力ではかるという行為は、一部の資本家がつくった悪しき文化であり、くだらない仲間内の常識でしかありません。

人間は、能力こそが全てでしょうか?

いいえ、決してそんなことはありません。

人間は「能力」という名の指標以外に、さまざまな可能性を秘めているのです。

マイノリティーの人生もまたしかりです。

なぜ、マイノリティーの個性を否定することができるのでしょうか。

現代社会は、一部のマイノリティーが発掘した新しい価値観によって築かれた例がしばしばあります。

スマートフォンの生みの親スティーブ・ジョブズは、強烈な個性の持ち主であったことで有名ですし、ソフトバンクの孫正義は、マジョリティーが考えるよりも先駆けた思考を持って、誰よりも思い切った非常識を成し遂げ続けています。

現代の偉人でさえもマイノリティーだったのに、なぜ一般のマイノリティーは否定されなければならないのでしょうか。

マイノリティーは社会のインフラであり、人類の宝です。

だからこそ、筆者はこの言葉を強く主張します。

「マイノリティーの、どこが悪い!」と。

●あとがき

いかがでしたでしょうか。

今回はマイノリティーにおける筆者の見解を示させていただきましたが、何か参考になったことはあったでしょうか?

繰り返しになりますが、マイノリティーは立派な個性であって、ただの欠陥ではありません。

自分自身のマイナーな部分を大切にして、現代社会を生き抜いていきましょう。

きっと、あなたを幸せにすることが起きるはずです。

以上、今回のコラムを終えさせていただきます。

どうもありがとうございました!

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