一日を一生だと思って生きてみよう
- 岡本ジュンイチ
- 2019年7月17日
- 読了時間: 4分
もしも、今日が人生最後の日だったとしたら、あなたはどういう行動をとりますか?
この質問は、ハタから聞けばたいへん大げさな話に聞こえるかもしれません。
ですが、人生においてヒトは必ず死を迎えるものです。
いざ死を迎えた時のために、前もって自分のやりたいことをやっておいて、後悔のない人生を送られるといいでしょう。
もっと言えば、一日を一生として常に意識して生きていくといい、とさえ筆者は思っています。
今回は、その一日を一生だと思うことのメリットや意味などを軽く書かせていただきます。
●今ある状況は、いつまでも続くわけではない
「一日を一生だと思って生きる」と言うと、大げさな、と思われるかもしれません。
たしかに、あなたが健康でいる限り、これから先のあなたの人生は末永いものになるでしょうし、地球や社会の仕組みがいきなり崩壊することはないでしょう。
ですが、どんな人生においても、リスクのない人生なんていうのはあり得ません。
それは、ヒトの死を迎える時期が必ず来るように、人生においてリスクがあることはしごく当然な、自然現象なのです。
多様性に富んだ世界に、豊かな現代社会。
活発な太陽活動に、美しい地球や世界の絶景たち……
それらの今ある状況が、いつまでも続くわけではありません。
時には変革の時期が訪れることもありますし、ほんのちょっとしたことで滅亡の道を歩むことだってありえます。
一日を一生だと思って生きることは、それらの現実を受け入れて、自分のベストを尽くすということでもあるのです。
●一日を大事にできれば、目の前の幸せが実感できる
一日を一生だと思って生きれば、どういうメリットがあるのか。
それは、まず自分のやるべきことややってみたいことが明確になっていくことにあります。
自分が日常を生きている中で、自分が興味を持っていることや自分のやるべきことがいくつか見えてはいるでしょう。
しかし、たいていの人はその興味や関心・義務感などはほったらかしにして、自分の日常の忙しさを理由に後回しにしてしまっています。
そういうことができるのは、ひとえにあなたの人生が、いつまでも続くと思い込んでいるからだとも言えるでしょう。
それを、一日を人生最後の日だと思えば、おのずと後回しにしがちな自分の興味や関心・義務感を、すぐに実行に移せるようになっていきます。
空腹になったら誰でも食事をとるのと同じように、自分が生きていくうえで大切にしていることを最優先して行動できるようになっていって、その行動が習慣をつくり、そして人格を形成していくようになるのです。
●遠い未来より、目の前の一日
よく世間では、遠い未来のために自分ができることを考えてみよう、という話を聞きます。
それは、学校で行う進路希望調査や、銀行や保険のCM・広告などの影響で、あなたの未来の人生を深く考えざるを得ない状況にさせていることが大きいのかもしれません。
ですが、遠い未来を憂えていても何も始まりません。
あなたは1990年代に、スマートフォンの普及した社会を想像できたでしょうか。
あなたは21世紀になった当初で、いったいどこまで、今日のような状況を読むことができたでしょうか。
おそらく、ほとんどのことを読み切ることができていなかったはずです。
多くの未来学者やSF作家でさえも、今日の社会の状況をピッタリと言い当てることは難しいのです。
そういうことを踏まえると、人間にはそもそも、未来を予知する力なんて備わってない、と言ってもいいでしょう。
遠い未来を憂うより、もっと大事なことがあります。
それは、一日一日を大切にすることです。
「千里の道も一歩から」と言うように、あなたの歩む一日の生活が、これからの未来や生活、ひいては社会を築いていっていると言っても過言ではありません。
もしも絶望的な未来を感じたとしても、誰でもベストな人生を歩む努力はできます。
一日を一生と思って歩んでみて、自分の人生をより有意義な人生にできるように心がけてみてはいかがでしょうか。
きっと、あなたの世界の見方やまわりの人との接し方が変わるようになるでしょう。
●あとがき
いかがでしたでしょうか。
今回は一日を一生だと思って生きることのメリットや意味などを軽く書かせていただきました。
何か参考になったことはあったでしょうか?
繰り返しになりますが、人間の一生は目の前の一日で成り立っています。
その生活の一部である一日一日を、大事に生きてみましょう。
そうすれば、自分の好きなことややってみたいことがおのずと見つかる可能性も出てくるでしょうし、自然と楽しい人生になると思います。
それでは、今回のコラムはここで終わらせていただきます。
どうもありがとうございました!
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