正義って何だろう
- 岡本ジュンイチ
- 2020年10月17日
- 読了時間: 5分
現代の社会では、いろんな正義によって成り立っています。
法律や倫理、社会制度などなど。
人類社会における全てのことは、どこかしらの正義があるからこそ、ここまで続いてきたといってもいいでしょう。
ですが、近年ではその正義を盾にして、テロや殺傷事件・紛争などが勃発することも多くなってきています。
また、価値観が多様化してきている今日において、ほんのちょっとしたことでパワハラやモラハラとして見なされるなど、さまざまな正義感がぶつかり合うこともしばしばあります。
正義は、そんなふうに争うために生まれたものなのでしょうか。
そもそも、本当の正義とはいったい何なのでしょう?
今回は、現代社会における「正義」のあり方について、少し哲学的なコラムを送らせていただきます。
●正義とは
そもそも、「正義」という言葉の一般的な定義は、「人の道にかなっていて正しいこと」という意味です。
つまり、正義とは一般的に、「正しいこと」を行うことを至上としている、一種の倫理・道徳観なのです。
それは、一見当たり前なことではありますが、その「正義」における一般的な定義は意外にもあいまいな概念なのです。
そういう正義のあり方については、実は人類の古代からよく議論されており、時と場合によっては、その「正しいこと」の定義自体が変わってしまうことを指摘する哲学者もいます。
たとえば、あなたが泥棒を見つけたとします。
その時点では、その泥棒を捕まえることこそが本来あるべき正義でしょう。
ですが、その泥棒がナイフを持っていた場合はどうでしょうか。
その場合は、あなたが泥棒から身を守るために、泥棒から武器を取り上げたり身体をケガさせたり、場合によっては暴力をすることだって正義になりえます。
もっとわかりやすい例は戦争の場合です。
普段の平和な社会では人殺しを重罪としてみなしますが、「敵から自分の身を守る」という正義のために武器をとり、場合によっては敵の人間を殺すことを正義としてしまう風潮になってしまうことだってあります。
これらの例のように、世の中にある「正しいこと」とは、時と場合によって移り変わりゆくものであり、どうしても固定化できない概念の一つなのです。
●「人の道」って何だろう
正義のあり方におけるもう一つの重要なポイントは、「人の道に沿っていること」です。
ですが、その「人の道」のあり方についても、時と場合によって変えざるを得ない、とても曖昧な考え方だということは否めません。
たとえば、環境問題。
今日の地球では、人類のエゴイズムによって地球環境が悪化している、という学説がもっとも有力視されていて、少しでも地球環境にやさしいライフスタイルを実現させることに全人類が奔走しています。
それは、一見すると地球にとっても理にかなっている正義感のように見えます。
ですが、当の地球からすると、それでも人類のエゴイズムでしかないことだと認識するでしょう。
それはなぜか。
人類はほかの植物や動物を食べて生きているからです。
自分たちの栄養を補給するために森を壊し、海を荒らし、ほかの動物や植物を奪い取る行為を続けるように、人類は出来上がっているからです。
言い換えれば、人類の存在自体が地球にとっての「悪」であり、地球にとっての「正義」に反する存在である、という見方ができるのも確かなのです。
それを踏まえてまとめますと、結局のところは正義における「人の道」には絶対的な正しさは存在しませんし、どこの誰にとっても納得がいく「人の道」なんてありえません。
以上に先述したように、「正義」には人間の主観によってさまざまな見方ができる曖昧さを持っていて、その正義における「人の道」でさえも、絶対的な正しさを貫けるものは存在しないのです。
だからこそ、正義という概念は厄介な存在だといってもいいでしょう。
●なんでも正義があればいいのか?
ここで、筆者は強く主張したいことがあります。
それは、「すべてのことに正義を当てはめればいいのか?」ということです。
正義のあり方は、時と場合によってコロコロと変わります。
状況によっては、ある一方的な主張が絶対視されて、それを「正義」と名づけられてしまうことだってあります。
自分にとって都合の悪い人を「悪者」扱いして、自分の一方的すぎる正義感を押しつける。
それは、本当の意味で正しいことでしょうか?
筆者はそうは思いません。
なんでも正義があればいい世界になるのならば、なぜ法律やルールがあっても犯罪は消えないのでしょうか。
「正義がすべてを解決する」のであれば、「正義」の名のもとに戦う人類の争いは解決につながっているでしょうか。
たしかに、「正義」は人類社会を支えるのに大きく貢献してきた強い概念であり、多くの悪を滅ぼしてきた歴史もあるのは事実です。
ですが、少なくとも今日の社会においては、正義が人類の全てをよりよく導くことはないでしょう。
行き過ぎた正義はぶつかり合いのタネとなり、それはやがて大きな争いに発展してしまうからです。
断言します。
正義の力だけでは、人は救えません。
大切なのはもっとあたたかい、思いやりのこもった精神なのです。
だからこそ、筆者は改めて問いたいのです。
本当の「正義」って、いったい何なのか。
その「正義」は、本当にあなたのためになっているのか。
そしてそういう正義感によって、いったい誰を幸せにしているのか……?
これを機に、ぜひそういう自分自身の、「正義のあり方」について考えてみましょう。
そういう行為ができる人こそが、本当の意味で正しい道を見出すことができるはずです。
筆者は、そう確信しています。
●あとがき
いかがでしたでしょうか。
今回は「正義」のあり方について、哲学的なコラムを書かせていただきました。
何か参考になったことはあったでしょうか?
今回のコラムを機に、あなた自身の正義感のあり方を見つめ直すきっかけになってくだされば、筆者としてこれほど嬉しいことはありません。
それでは、今回のコラムを終了させていただきます。
どうもありがとうございました!
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