自分の感受性を自覚しよう
- 岡本ジュンイチ
- 2020年4月25日
- 読了時間: 4分
更新日:2020年5月28日
最近あなたは、普段の生活において、他人がとっている言動や行動に対して憤りを感じたことはありますか?
人間だれしも、自分以外の人間が行う言動・行動に怒りや不満を感じたことがない人はいないことでしょう。
そんな不満や怒りをため込んで、それが大きなストレスになってしまうことも少なくはないでしょう。
今回はそんな不満や怒りを消す有効な方法の一つとして、「自分の感受性を自覚すること」を筆者は提唱させていただきます。
●一つの物体でも、いろんな側面があることを知ろう
なぜ自分の感受性を自覚するとよいのか。
それは、物事にはさまざまな側面があり、いろんな見方ができるからです。
たとえば、電車でマナー違反をしている人を見かけたとします。
優先席をわが物顔で占領してた場合、あなたはどんな思いを抱きますか?
もしかしたら、そういう行為に対して憤りを感じるかもしれません。
たとえご高齢な乗客や子供連れのお客が優先席の方へ行っても決して譲ろうとしない。
その行為に対して、強い憤りを感じること自体はとても正しい、真っ当な見方です。
ですが、それはもしかしたら、その優先席を占領する乗客は、自分の行為が他人の迷惑をこうむっているという自覚がないかもしれません。
少しでも声をかければ、もしかしたら優先席を譲ってくれるかもしれません。
また、その乗客こそ何らかの事情でその優先席をぶんどっているのかもしれません。
このように、すべてがその優先席をぶんどる乗客が悪いとは限りません。
むしろ場合によっては、その様子をただ傍観しているあなた自身にだって悪い場合だって十分あり得るのです。
この一例から分かるように、ひとつの事実を一方的に見るだけでなく、今起きている物事にはさまざまな側面があり、いろんな見方ができるのです。
●自分の正義・世界観がすべて正しいとは限らない
自分の感受性を自覚すると何がいいのか。
それは、「当たり前なこと」と「自分の感じていること」の区別がつくようになる点です。
つまり言い換えれば、「自分の中にある常識を疑うことができるようになる」ともいえます。
自分の常識を疑う習慣が身についていれば、ひとりよがりな意見を決して言わなくなっていきます。
自分の正義や世界観がすべてではないことを自覚すれば、他人にやさしく接することができます。
それだけではありません。
自分のその考え方の傾向や感受性のクセを知れば、他人の意見を純粋に楽しむことができます。
その「楽しむ」行為ができさえすれば、あなたの心の中にある憤りや怒り・不満などは、おのずと解消されていくはずです。
何ごとも、自分の感受性がすべてではない。
そのことを自覚するだけで、あなたの考え方だけではなく、人生そのものも大きく変わることだって十分あり得ます。
●異なった意見に触れて、自分の感受性を磨いていこう
そうやって、自分の考え方の傾向や感受性のクセを自覚することで、自分だけでなく身のまわりの人間を幸せにすることができます。
人類には、およそ何十億もの命があります。
ですが誰一人として、同じ感受性の人間なんて存在しません。
金子みすゞの詩「わたしと小鳥と鈴と」に書かれてある通り、みんな違うからこそ価値があるのです。
自分と相手との考え方の違いに憂えるのはやめて、むしろその違いをおもしろがれるように努めてみましょう。
すると、あなたの感受性はどんどん磨かれていくはずです。
自分の考えに固執せずに、いろんな人の考え方に触れてみましょう。
そして自分なりの立ち位置を持ち、自分なりの幸せをつかみ取っていきましょう。
●あとがき
いかがでしたでしょうか。
今回は「自分の感受性を自覚すること」の大切さを軽く書かせていただきましたが、何か参考になったことはあったでしょうか?
繰り返しになりますが、自分の感受性を磨くことは、自分の人生における幸せな見方ができるようになる作業の一つです。
今回のコラムの内容を頭の隅に入れたうえで、ぜひ豊かな学校生活や社会生活を送って下されば幸いです。
以上、今回のコラムを終了させていただきます。
どうもありがとございました!
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