人の心は善? それとも悪?
- 岡本ジュンイチ
- 2018年3月25日
- 読了時間: 4分
更新日:2020年4月8日
ストレス社会と言われるほど、僕たちの心の中にある苛立ちや不満を抱きがちな今日です。
中にはそのストレスに負けて、犯罪にまで手を伸ばしてしまう人までいます。
人間の心というものは、本当に厄介な代物だなと痛感させられますね。
そこで、今回はそんな人間の心の善悪について深く考えていこうと思います。
●赤ちゃんの心はみんな純粋
人の心の善悪について考えるにあたって、まず一つ、明らかなことがあります。
それは、生まれながらの悪人は存在しないということです。
僕たちには必ず、赤ちゃんだった頃の時期を等しく持っています。
赤ちゃんの心は、まだ事の善悪を知らないですよね。
お腹がすいたりおむつを替えてほしい時はワーワー泣きます。
そして、それ以外は方法を知りません。
だからこそ、赤ちゃんの心は純粋なのです。
その純粋さこそが、人間の心の本質ではないかと筆者は思います。
どんな悪人であっても、子供の頃はみんな大人たちに大切に育てられているのです。
生まれながらにして悪人として教育する大人なんて、この世にはめったに存在しません。
ですので、人間の心には純粋な気持ちが必ず存在するという点において、人の心は善であると言い切ることも出来るのは確かではないでしょうか。
●現代社会は、性善説では通用しない
しかし、世の中はそんなに甘くありません。
とりわけ現代社会では、そういう人間の性善説では通用しないのが一般的なのです。
それは、多くの歴史から学んでいけば明らかなことです。
数々の革命や秩序、技術革新などはすべて、人の心の悪とのすり合わせによって生じた産物であるといってもいいでしょう。
たとえば、フランス革命を例にとりましょう。
その革命の原因の一つは、農奴階級などの低い身分の民が、飢餓や病気に苦しんで、当時の秩序に強い疑問を感じるようになったからだといわれています。
自分たちは一生懸命働いているのに、王族はいつも贅沢三昧をしている。
そういう悪を知ることによって、フランス国民は怒りを覚えて、武力行使に着手したのです。
その結果、国民を中心とした民主主義社会を築くことになったことはご存知の通りです。
このようにして、現代の社会は、世の中にある悪をできる限り取り除くために築かれてきたのです。
逆に言えば、人間の心が完全な善であれば今の社会は存在しません。
ゆえに、人の心は悪であるということができるのも決して否めないのです。
●悪があってこそ善がある
こうして考えると、「人の心は善か悪か」という問題は、案外とても複雑な話であることが分かるでしょう。
しかし、そういう複雑な話も整理していけば、おのずと本質が明らかになっていきます。
結論を先に申します。
人の心は、悪があってこそ善があるのです。
赤ちゃんの例になぞって考えてみましょう。
先ほど、「赤ちゃんの心はみんな純粋である」と述べましたが、それはあくまで「純粋」なのであって、「善」と言い切ることはできません。
なぜなら、赤ちゃんは大人の教育によって成長する余地が、まだたくさんあるからです。
ですので、世の中には「子供の心に戻って純粋になろう」と言って、善良な心を芽生えさせようとする教育活動家などがいらっしゃいますが、筆者としてはつい首をかしげたくなって仕方がありません。
むしろ、人間の心は、悪いことを知ってこそ善いことを知るという本質に目を向けなければいけないのではないでしょうか。
再び、フランス革命を例にとりましょう。
たしかにフランス革命は、一部の卑怯な大人たちから生じた不公平をきっかけに起きた大事件です。
しかし、そういう経緯によって、民主主義という新しい正義を見つけることができたのです。
つまり、王政があってこそ今の世の中がある、といっても過言ではありません。
人間の社会はそうやって、悪人を排除し、新しい善を発見する、という繰り返しによって成り立っています。
なんでも悪がなくなればいいという問題ではありません。
悪がなければ、何が善であるのかがハッキリとしないからです。
極論すれば、たとえ人の心に悪が存在していてもいいのです。
その悪こそが、人の心の善を導くカギになるのですから。
●あとがき
いかがでしたでしょうか。
今回は人の心について深く考えさせていただきました。
何か、共感できることがあったでしょうか。
筆者自身、本コラムを書きながらまだまだつたない哲学的エッセイだなと痛感させられるところです。
今後も、地道に読書と経験を積んだうえで、地道に精進していきたく思います。
どうもありがとうございました!
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